絵を描くきっかけ


もともと、教科書やノートに落書きをするのが大好きな子供だった私は
紙さえあれば、かわいい女の子のイラストを描いては、祖母たちに

[また!でごさま描いてる!」と、言われながらもやめることはなかった。

[でごさま」というのは、「お人形」という意味の訛り言葉か、「ろくでもなく描いたもの」
という意味だったのか定かではないが、決して、褒められている言葉ではなかった。

大人たちにしてみれば、「字の一つも覚えたらいいのに」という頭の中の考えが、
その言葉になって出てきていたのだろう。

しかし、「美容師」目指して修行していた私の若き日、勤める美容室の「ポップ」や
[かわいい女の子のイラスト」「キャンペーンのポスター」などの作成時に活躍できた
のである。

美容室の大きなガラスに、「トロピカルジュースを渦巻のストローで飲む女の子」を
描いたり、店販品のガラスケース内をおしゃれなディスプレイにしたり、etc....

それはすぐに、「お給料」に反映され、同期の仲間の女の子たちより
「5000円」上乗せされていた。

そんなことが出来たのは、地元の「会津若松市」に帰って来る前の修行先「埼玉県」
での、美容師見習いの日々で培われたものだと思う。

たった2年しか居なかった「埼玉」だが、内容は濃かったと思う。

会津のものすごい山奥で育った私が最初に降りた駅は、「埼玉県大宮市」

東北地方のあちらこちらから、55人ほどの「新人」が集まった。
[秋田のしーちゃん」「岩手の吉田さん」地元埼玉の、ゆかり、カオリ、etc...
みんながみんな、かなり「個性的」だった。

[大宮市宮原」の寮に住まわされ、朝の7時に「ワインディング練習」、朝食を取り
[大宮駅地下のビビアン」「川口市のベル」「北本」「熊谷」etc。。

どこかの支店が忙しいと、電車に乗って「応援」に行かされ、営業が終わると
指定のお店に出向き「講習」、寮に帰って夕飯食べたら、「お風呂」の争奪戦が
繰り広げられ、誰かの部屋に集まって深夜までおしゃべり。の日々。

そんなバリバリ忙しい毎日の中、おすすめの「シャンプー」のポスターを
書いたり、「北本店」のガラスに、「アラレちゃん」の特大ポスターを
作ったり、「熊谷のフローラルサロン」では、学生さんの「合格祈念」に
特大な「鳥居」を赤い画用紙で作り、神社に出向いていただいてきた「お守り」を
プレゼントするという企画もやった。

その経験が「会津」に帰ってきた私の「武器」になったのは言うまでもない。

今は、美容室をほそぼそ一人経営しながら、お客様に頼まれた「絵」を描き、売り、

年に数回、「展示会」に出品している毎日なのです。





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